プリント出版と筆耕派遣業

プリント出版と筆耕派遣業は、謄写印刷の先駆的業態で、ともに明治末期に発生した。

記録に現れる最初の謄写印刷業者は、東大赤門前で学生に講義プリントを販売した文信社である。主人の石田嘉一は、日本大学在学中に講義の筆記ノートを謄写版で複製して学生に売ったり書店に出したりした経験があり、卒業後文信社を開業した。同社からは多くの業界人が育ち、詩人の宮沢賢治が一時仕事をしていたことでも知られる。

プリント出版は授業をさぼる学生に支えられて成り立ったが、そのほとんどが著作権を無視した出版であり、著作権意識が急速に向上した昭和10年代に告訴や出版禁止通告を受けて消滅した。

文信社の例は、学生のアルバイトが業に転じたものであるが、筆耕派遣業は古来の業態から転換ないし派生した。これは江戸時代の口入屋の系譜を引くもので、謄写印刷職人の派遣より前に、毛筆やペン字の上手な人や事務員の派遣があった。この業態は、第2次大戦後GHQの指導で私的労務供与が制限されたため、廃業あるいは印刷専業に転じた。
「昭和堂月報」の時代
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