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鳴門市ドイツ館で
初のガリ版印刷物が主役のイベント(上)

坂東俘虜収容所の謄写印刷物再現まで


BANDOプログラム再現イベントの模様。演者は坂本秀童さん
文・写真/志村章子


80年後によみがえる
鳴門市ドイツ館に出向き、はじめて所蔵のドイツ人捕虜のガリ版印刷物に接したのは1992年6月のことである。「『第9』取材は必ず年に何回かありますが、ガリ版というのははじめてです」 宮本豊館長(当時)は言われた。そのときの取材は、「坂東俘虜収容所のガリ版印刷所――戦時下に生まれた謄写版文化」(『ガリ版文化を歩く』新宿書房・刊)としてまとめた。
あれから8年余。ドイツ館で、「第9」ではなくガリ版印刷物を主役にした催しが実現したことは、筆者にとっても感慨深いものがある。

海外にも知られる坂東俘虜収容所がこの地に存在した期間は、1917年(大正6)4月から1920年(同9)12月帰国の途につくまでの3年にも満たない年月である。1000人の“小さなドイツ人社会”が同地に残したドイツ文化は多様であり、西洋音楽からパン、ソーセージなどの食品製造まで含まれる。比較的自由度が高かったこともあって、印刷、出版文化を物語る印刷資料が多種遺されたのも坂東収容所の特色である。週刊新聞「ディ・バラッケ」の表紙、演劇・演奏会のプログラム、ポスター、収容所切手(切手博物館・所蔵)ときわめてレベルの高い多色刷りの印刷物が目立つ。演劇・演奏会は120回ほど開かれ、それと同数のプログラムが制作されたと思われるが、なんと1週間に1度開かれた勘定になる。そのうち館には約70%に近い90枚が所蔵されている。
今回のイベントでは90枚のなかの3枚が、坂本秀童さんによって復刻され、いま、80年前の技法が解明されつつある。このようなユニークなイベントは、未だ聞いたことがない。

収容所印刷所の活躍はめざましかった。印刷所は二つ存在し、一つが「収容所印刷所」(といっても小屋である)で、手刷り謄写版による印刷が行われ、「ディ・バラッケ」もプログラムも切手もここで作られた。写真では、2台以上の印刷機がみられ、4人が印刷にたずさわったとみられる。
もう一つが「石版印刷所」だが、そこでも絵はがきやカレンダー制作が行われ、それら印刷物もドイツ館で見ることができる。石版技術者が1名いたことが記録されているが、まだ不明の点が多い。

今回のイベント開催に至るまでには、鳴門市による地道な顕彰活動、複数の分野での研究(『坂東俘虜収容所』冨田弘著 ドイツ社会思想史など 法政大学出版部・刊)、小説(『二つの山河』中村彰彦著 文藝春秋・刊 直木賞受賞作)、児童向けノンフィクション(『父の過去を旅して』安宅温著 ポプラ社・刊)などは、その代表的なものである。館の出版物として近年のものに、『ディ・バラッケ』(第1集)の翻訳書(鳴門市ドイツ館史料研究会)、『どこにいようと、そこがドイツだ――坂東俘虜収容所入門』(執筆・編集 同研究会)があり、2001年3月には『ディ・バラッケ』(第2集)刊行が予定されている。同紙に使用されたドイツ語筆記体は、ジュッテルリーン・シュリフトと呼ばれる現在とはだいぶ異なる文字で、第2次大戦後にはまったく使われなくなったため、かなりの年配者にしか読めない書体であるという。ドイツ本国でも不可能に近いといわれた研究会の田村一郎氏らによる、たいへんな労作なのである。筆者などは、刊行を首を長くして待っているひとりである。
多方面からの研究の蓄積こそ、収容所の諸活動の柱というべき印刷所と印刷物にまで視座を広げることになったと評価している。
(00.12.29)
鳴門市ドイツ館で初のガリ版印刷物が主役のイベント(下)
●SHOWA HP