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板祐生(いた・ゆうせい)年譜
明治22年(1889)
9月24日、現・鳥取県西伯郡南部町(当時・東長田村今長)に生まれる。本名は板愈良(いた・まさよし)。
明治37年(1904)
法勝寺高等小学校卒。同年12月、15歳3か月で落合尋常小学校代用教員となる。
明治42年(1909)
19歳で検定試験により本科正教員となる。教材印刷器として学校の謄写版を多用する。明治末から当時流行の記念絵葉書、古銭などの収集はじまる。
大正6年(1917)
関西を地盤とする趣味のグループ「珍道楽」との交流はじまり、収集活動も盛んになる。
大正7年(1918)
法勝寺尋常小学校山田谷分校に赴任。24年間、同分校に勤務する。
大正8年(1919)
東京を地盤とする当時の代表的な趣味人の会「我楽他宗」(創立者・三田平凡寺(本名・三田林蔵))に参加、いっそう玩具その他の収集に励む。
大正9年(1920)〜昭和15年(1940)
単色1枚刷りの「龍駒珍聞」に始まり、「富士乃屋草紙」39冊、郷土玩具雑誌「髫髪(うない)歓賞」6冊、「青駒」5冊など、謄写印刷による多色刷り(切抜技法など)の私家本を制作。
大正12年(1923)
6月、日本文化の研究者として知られるF・スタール(米人・文化人類学者)が山陰行脚中、板宅を訪問、一泊、交流する。
昭和9年(1934)
農繁期に託児所開設、乳幼児を預かる。
昭和12年(1937)
武井武雄主催の版画による年賀状交換会「榛の会」会員として孔版画を出品、高く評価される。
昭和18年(1943)〜昭和20年(1945)
上長田小学校勤務。戦後は法勝寺村役場勤務。
昭和21年(1946)
56歳。絵暦(カレンダー)の制作がはじまり、10年間つづく(祐生作品の円熟期)。賀状コンクールその他で多くの賞を受賞。
昭和24年(1949)
孔版蔵書票交換会「杏青帖」主宰。会に配布。
昭和30年(1955)
4月、法勝寺保育所所長になる。
昭和31年(1956)
2月5日、病没。
平成7年(1995)
没後約40年をへて、「祐生出会いの館」開設。
平成12年(2000)
2月16日〜27日、東京で初めての総合的展示会「孔版画に生きた板祐生の世界」展を開催。
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