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板祐生 ―― 人とコレクション
稲田セツ子/「祐生出会いの館」調査研究員


板祐生の生涯を、そのコレクション活動を中心にたどります。
筆者は、「祐生出会いの館」調査研究員・稲田セツ子さんと板祐生研究家・徳直さん、初出は、「毎日新聞」鳥取版に02年4月から6月まで13回にわたって連載された「わが館のお宝 ―― 祐生出会いの館」です。


[1] 郷土玩具への愛着

1889 (明治22) 年に西伯町に主まれた板佑生 (いた・ゆうせい、本名・板愈良=いた・まさよし) は、15歳で代用教員となり、山村へき地の分校の教師として、66歳で生涯を終えるまでの大半を小学校の教員で過ごしました。その傍ら、独目の技法による孔版画家、郷土玩具やポスターなどの収集家として名を成していきます。

小さいころから“物”を集めるのが好きで、「蒐集生活の第一歩は絵葉書にあり」と記しているように、幼いころからの平面図形への関心は、ポスター、レッテル類の膨大なコレクションに見ることがでぎます。
1918 (大正7) 年、収集趣味家の交遊会「日本我楽多(がらくた)宗」に入門を許されるに及んで祐生独自の人的ネットワークを築き上げ、
祐生が愛した郷土玩具
趣味家との文通による趣味品の交換が始まります。これによって全国的に知られるコレクターへの道を歩み始めます。

そのころ祐生は、誰も手がけたことのない紙を切る技法で編み出した孔版画を、芸術として認められるために模索に模索を重ねていました。「このコレクションの面影を後の世にまで伝えたい」という情熱は、ついに独学で完成した香り高い創作版画として世に出ました。「姿あるものいつかは廃れる時が来る」と、郷土玩具の姿を写し取って孔版画に残した祐生の思いは、頂いた方へのお礼の気持ちであったでしょうし、後の世の人が郷土玩具を復興する際に資料として活用してほしいとの思いでもありました。

手仕事から生まれる作品は、「安らぎ」と「ぬくもり」を感じさせます。そして、何より祐生のデザインへの感覚は現代にもマッチするほど斬新です。この膨大なコレクションと作品の散逸を防ぎ後世に残し、広く紹介するため、西伯町は95 (平成7) 年に「祐生出会いの館」を開館しました。製作した孔版画数千点のうち約1500点と、郷土玩具やポスターなど約4万点を収蔵しています。

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