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板祐生学入門
[3] コレクターへの道
文/志村章子

祐生の収集の始まりは、14歳(明治37年)頃。よくあるように、郵便切手、絵葉書、古銭などから始まっています。友達と交換したり、購入したり。
当時、子供たちの切手集めは普及していました。明治23年に創刊の雑誌「少国民」でも郵便切手収集の記事を連載して奨励しています。その理由は「西欧の文明国でも学校生徒にはやっていて、歴史、地理などが知らず知らずのうちに学べる」、「それに不潔でも粗暴でもないから」というのです。私も切手集めを少々しまして、父母にきた封書の切手はすべて切り取りました。しかし、大多数の子供は切手集めを“通過”するものですが、祐生はますます熱を加えていきます。

大正元年9月15日、明治天皇大喪の当日に乃木希典夫妻が殉死します。祐生は乃木大将への畏敬はげしく、乃木グッズ集めにも熱中します。命日に行われる乃木祭り参加も欠かしません。大正7年に書かれた自己紹介にも、「じぶんの信念は乃木将軍中心」としています。乃木をテーマにした文学作品もあり、評価もそれぞれですが、当時の青年層の受けた衝撃、感動は大きく、祐生もそのひとりだったというに止めておきます。

また、おもしろいと思ったのが、明治末期(20代はじめ)から、三越のPR雑誌「みつこしタイムス」や白木屋「流行」などを送ってもらい読んでいるんです。子供向け、女性向け雑誌も講読しています。東京発の流行やホット情報に関心が大きく、アンテナを他方向にのばしていていたものと思われます。
20代半ばには、いとう呉服店、神戸東洋汽船、日本郵船、白木屋、三越、松屋などに依頼の手紙を送っては、絵ビラ(ポスター)を収集しています。百貨店のポスターに表現される女性像は、流行の先端を行く美人像です。「色彩がすばらしい」と祐生は感想を述べています。
祐生の目は、新しいもの、珍しいものへ注がれています。のちに(大正10年)は、175円(月賦)でシンガーミシンを購入したのには驚きました。分教場に電灯の灯った翌日のことでした。(当時、ミシンがどのくらい普及していたのかについては未調査です。)

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