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板祐生 ―― 人とコレクション
青砥徳直/板祐生研究家


[11] 激動の20年を生きた芸術家団体「榛の会」

会員が意匠をこらして装丁した「榛の会」のアルバム
「榛(はん)の会」という名前やその活動の実体について知っている人は少ないと思います。「榛の会」は童画作家であった武井武雄が主宰して、昭和10年から29年にかけての20年間にわたって、版画を趣味として自刻、自摺りの版画による賀状の交換をしていたグループで、版画家はもとより童画家、写真家、画家などの芸術家や、学校の先生もたくさん参加していました。
会員は50人と制限され、入会するには厳しい審査がありましたし、毎回会員同士による評価もあったようで、出来の良し悪しによっては次の会に参加できなかったりで、会員の入れ替わりもあって延べにすれば160人近くにもおよびます。

この20年間に毎回参加できた人は8人しかなく、その作品のレベルの高いことがうかがい知れます。板祐生は第2回から参加を許されることになり、その後昭和29年までの19回にわたって参加しており、その作品は高く評価されています。
しかも「榛の会」の活動が順調になったころには第二次世界大戦が始まり、出征する会員もあって作品を会員に送ることも出来なかった人もありました。このような時代にあっても「榛の会」の灯火は絶えることなく灯し続けられていました。戦時中は主宰者である武井武雄も長野県に疎開を余儀なくされたり、印刷に使う紙類もままならない状況にあって活動が危ぶまれましたが、
年一度の精根込めた年賀状、版種は多様
会員同士お互いが助け合いながら戦争の悲劇をも乗り越えてきたのです。一口に20年といっても今では考えられないような厳しい20年間であったことと思います。

「榛の会」の作品は毎回アルバムに装丁されるようになっていて、アルバム20冊分に1000枚近くの作品が収められていますが、この20冊をそろえて所蔵していることは極めてまれなことです。
「榛の会」に参加した主な版画家には棟方志功、恩地孝四郎、川上澄夫、関野準一郎、平塚運一、橋本興家、前川千帆、若山八十氏などがいます。また、当時の時代を反映した作品は歴史資料としても貴重なものといえます。
「榛の会」は昭和29年の第20回を区切りとして終わることになっていたのですが、会員の「榛の会」に対する思いは強く、その思いは関野準一郎に受け継がれたことにより21回、22回と続きましたが、会員が大幅に替わったことによってか、それ以降は「榛の会」の賀状交換は行なわれなかったようです。

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●SHOWA HP