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板祐生 ―― 人とコレクション
青砥徳直/板祐生研究家


[12] 「榛の会」の活動を支えたガリ版通信

「榛の会」新年常会(昭和18年1月、東京田端にて)。主宰者武井武雄(前列向かって左から3人目)と東京の会員
昭和10年から20年間にわたって毎年年賀状を交換しあった「榛の会」は、最初は「版交の会」と言っていたようです。しかし、耳で聞くと語呂が悪く「版交の会」は「反抗の会」とも受け取られそうなので、第3回目からは「榛の会」に改めたというエピソードも残されています。

「榛の会」は賀状とは別に「ガリ版通信」を年2回発行して会員に配布していました。編集発行人は主宰者である武井武雄があたっていました。しかし戦時中は武井武雄も長野に疎開したこともあって、その印刷を板祐生がかってでたこともあったようです。このようにして「ガリ版通信」も20年間にわたって休むことなく発行されてきました。
「榛の会」が10年目を迎えるころ武井武雄は「ガリ版通信」第17(昭和18年10月発行)のなかで「初期においては(略)嬉票十傑を発表して新進に方向を示唆し体制強化に努めたが凡そ四・五回にして概ね目的を達したので(略)作品を作品自身として批評せず、作品を通じて人と人との心の交わりに重点をおいたのが榛の会であって……」と書き残しています。このような思いが「榛の会」20年の活動を支えたのでしょう。
このガリ版通信の中には東京や愛知で開催された「榛の会」新年常会参加者の記念写真が貼り込まれたものもあり、当時の会員を顔写真で確認することもできますし、会員の動向も知ることができます。
年2回発行された「ガリ版通信」
また、参加する会員の予想版種も前もって報告されています。版種で一番多いものは板目木版で8割を占め、銅版、木口木版、ステンシル、孔版、石版、銅木併版などとの注釈も加えられています。

「榛の会」20年の思いをつづった随筆集(昭和29年1月発行)で川上澄生は「榛の会の賀状がぞくぞくと舞い込む正月で始まる一年は、榛の会の賀状を刷る十二月で終わります」、船岡町出身の橋本興家は「常に興味を持ちつづけてきたこと、作品には自分なりの努力を傾けてきたことによって悔いるところはない」、また島根県の木村義男は「我々地方にいる連中、私丈かもしれません皆様の御厚情に甘え浴している」と、そして板祐生は「版様式の門戸を開放し、素人をも差別なく参加させられたということは我々にとって無上の幸福であった」と述べています。

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